『バッテリー』あさのあつこ
(教育画劇刊)
ずっと読まず嫌いでいた日本人作家の児童文学、に手を出してみました。
偏見かもしれませんが、外国人作家の児童文学からは子供を馬鹿にしている感じを受けません。相手が小さかろうが、一人前の人間を前にしたように語りかけている気がするのです。
だのに何故か、日本の作家の子供向けを読むと、作家と出版社双方の「子供だからこの程度の内容でいいだろう」とか、「はいはい、子供だから難しい事は考えないでしょう? こういう話でだまされてくれるわよね」という態度がすけて見えてなりませんでした。で、むかっとしてしまった訳です。
それ故読まずに来ましたが、考えてみれば私がそうした感覚を日本の児童文学から受けて既に10年以上が過ぎてます。ならば、いい加減変化が起きていてもいいはずですよね。
そしてその変化の確かな印を、この作品は見せてます。
主人公の原田巧は、常に怒りを心に抱えているキャラです。自分を理解しない親に対して、同時に、その親に従うしかない子供の自分に対しても。
彼はただ思いっきり野球をしたいと願ってます。けれど、その望みを叶えるには立ちはだかるモノが余りにも多いのです。良いキャッチャーを得たと思えばその母親から「あなたから息子に言ってちょうだい。野球をあきらめろって。お願い、将来がかかっているのよ。野球なんて一生出来るものではないでしょう?」と切実な様子でお願いされ、試合にでたいと思えば大嫌いなタイプの大人である監督に従わねばいけないとチームメイトに忠告される、といった具合に。
「なんで?」と疑問を抱く主人公に共感する読者の子供は多いでしょう。一方で彼等は、この主人公を不器用だ、人間と付き合っていくのが下手だと思いつつあこがれるのではないでしょうか。決して妥協せず、自分の実力だけで存在を認めさせ、権利を勝ち取っていくのだから。嫌な相手に頭を下げる事もなく。
もちろん周囲はそんな彼のフォローにやっきになりますが、原田巧はどこ吹く風です。だから母親の年齢な女性がこの小説を読むと痛いかもしれません。主人公に腹立ちを覚えたりもしそうです。「親の気も知らないで勝手言って」と。とはいえ夢中で読ませる要素もあるので、出来れば一読してほしい作品です。
現在は5巻まで出てますが、角川で文庫化の話も聞いてます。続編も依頼を受けているらしいので、楽しみはまだ続きそうです。